信貴山城

2014年09月22日更新

奈良で寿司・和食弁当・法事料理の出前・宅配はおまかせ!甚八郡山店伊藤です。

信貴山城は、信貴山山上に築かれた山城で、信貴山は当時大和と河内を結ぶ要衝の地で、松永久秀は山上に南北700m、東西550mに及ぶ城郭を築いて、大和経略の拠点としていました。
一番初めは応仁の乱後、陣屋のような状態であり、戦国時代に城郭が作られたと文献には残されています。
1542年太平寺の戦いで一度落城しますが、17年後に松永久秀が信貴山城を改修し、その後何度かの戦の拠点になり、最終的に織田軍に攻められ松永久秀は自殺し、廃城となってしまいます。
『探訪日本の城』によると、信貴山城の天守は、伊丹城につぐ日本で2番目に建造された天守で、かの安土城もこの天守を参考にしたのではないかと考えられている、歴史上重要な城でもあります。