海住山寺

2014年09月28日更新

奈良で寿司・和食弁当・法事料理の出前・宅配はおまかせ!甚八学園前店中西です。

山城國分寺阯、舊恭仁宮阯(旧くにノみやあと)から北に見える山の方へ向うと、山中にオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケが明治時代に造った砂防工事の石垣が今もあり、更に急な山道を辿ると、やがて真言宗智山派「海住山寺(かいじゅうせんじ)」に至ります。735年(天平7年)聖武天皇の勅願により東大寺の良弁僧正が建立し、重文の本尊「十一面観音菩薩像」を安置し藤尾山「観音寺」と号したのが始まりですが、1137年(保延3年)焼失して、1207年(承元元年)奈良「興福寺」の解脱上人貞慶が補陀洛山「海住山寺」と改称して復興し、かっては興福寺の末で、かなりの伽藍を誇り、五重塔が残っています。